Mr.Children「losstime」の歌詞の意味と解釈を書いて行きます。
歌詞全体の解釈
まずはこの曲の歌詞全体の解釈から。
「losstime」という英語には、「無駄にした時間」という意味もあるようですが、この曲でいう「losstime」は、サッカーの試合などに使われるロスタイムだと解釈しています。
ミスチルの歌詞には非常に珍しく、“老婆”が主人公の歌詞になっています。
人生というゲームを作り終えたひとりの老婆。天からのお迎えを待つその残された人生を「ロスタイム」と表現しているのではないでしょうか。
過去と、いつか自分もいなくなる未来、そして今。短い歌詞のなかで老婆の思考は巡ります。
しかし、曲を聞き終わると、悲壮感よりも満足感に似たものを感じます。寂しいけれど悲しくはない。そんな想いを持って人生のロスタイムを静かに過ごす姿が浮かんできます。
歌詞全文(引用)
愛する者を看取った
ひとりの老婆は今日
エピローグ綴って
お迎えの時を待つ「やがて… いずれ…そこに行くからね」
花瓶を置いて 写真の中に映る
過去と話しているゆりかごを揺らし あやした
子供らも大きくなり
願った通り巣立った
今は都会で暮らす「時間みつけて逢いに行くからね」
電話の声は想い出の歌のよう
静かに聞いているみんな いずれ
そこに逝くからね
生きたいように
今日を生きるさ
そして
愛しい君をぎゅっと
抱きしめる<出典>losstime/Mr.Children 作詞:桜井和寿
歌詞の意味を深読み
ここからは歌詞を抜粋し、独自解釈の深読みをしていきます。
愛する者を看取った
ひとりの老婆は今日
エピローグ綴って
お迎えの時を待つ
<出典>losstime/Mr.Children 作詞:桜井和寿
愛する者とは、素直に考えれば老婆の夫ということになるでしょう。
長い時間を一緒に過ごしてきた夫も、ついに天に召され、老婆はひとり残されてしまったのです。
「エピローグ」とは、物語の締めくくりの部分のこと。「もう自分の生きるべき時間はすべて生きたつもり。あとはお迎えを待つだけ」老婆はそんな心持ちで今日を過ごしているのです。
「やがて… いずれ…そこに行くからね」
花瓶を置いて 写真の中に映る
過去と話している
<出典>losstime/Mr.Children 作詞:桜井和寿
「写真の中に映る過去」とは、亡くなった夫のこと。
僕のなかでは、「そこに行くからね」と語りかける老婆は、それを望んでいるかのような表情をしているのが浮かんできます。
ゆりかごを揺らし あやした
子供らも大きくなり
願った通り巣立った
今は都会で暮らす
<出典>losstime/Mr.Children 作詞:桜井和寿
老婆の思考は、子育てをしていたころの記憶へ飛びます。
「子供ら」ということは、夫婦には2人以上の子どもがいたのでしょう。
その子どもたちを、願ったように育てることができ、それぞれにちゃんと巣立って行った。
きっと老婆のなかで、この想いこそが人生で最も満足感のある事柄なのでしょう。
今の時間を「losstime」と言えるのも、こうして自分の人生をきちんとやり遂げたという確かな自負があるからです。
「時間みつけて逢いに行くからね」
電話の声は想い出の歌のよう
静かに聞いている
<出典>losstime/Mr.Children 作詞:桜井和寿
個人的に涙が出そうになってしまうフレーズがここです。
都会に暮らす子どもと電話で話す老婆。
子どもは働き盛りで忙しい毎日を送っているのでしょう。子育てをしている年代でもあるでしょう。
でも、「遭いに行く」と伝えてくれるところから、母親(老婆)に感謝しているし、夫を亡くしてひとりになったばかりであることも気にかけていることが読み取れます。
老婆には、そんな子どもの優しい言葉が、かつて自分が子どもに歌って聞かせた想い出の歌のように優しく響いたのです。
みんな いずれ
そこに逝くからね
生きたいように
今日を生きるさ
そして
愛しい君をぎゅっと
抱きしめる
<出典>losstime/Mr.Children 作詞:桜井和寿
最後の歌詞です。
「みんな」とは、恐らく、電話で話していた子どもたちのことを主に刺しているように解釈します。
夫と、子どもたちと過ごしていた時間が、記憶としても幸せで温かな思い出なのでしょう。
死はすべての者に訪れるもの。いつか、子どもたちも夫が先に行っている場所に逝く。そのときにはまた、みんなで揃って会えるから。
老婆はそう写真の中の夫(=愛しい君)を抱きしめながら伝えます。
悲しい気持ちも伝わって来ますが、「生きたいように今日を生きるさ」の存在によって、老婆は残された人生(=losstime)をきちんと生き抜こうとしていることがわかります。
老婆の愛と優しさ、そして強さに触れることができる物語(歌詞)ですね。
歌詞解釈からの学び
losstimeを送る権利は、人生というゲームを作り上げたからこそ得られる特権。
ロスタイムという響きからは、ちょっとマイナスなニュアンスというか、この老婆が死を待ち望んでいるかのような雰囲気を感じてしまいがち。
ですが、僕としては、ロスタイムという残りの人生を、思い出を携えて丁寧に生きようとする姿勢の方が強く感じ取れます。
そもそも、ロスタイムというのは試合(ゲーム)を作り終えた後にあるもの。老婆の胸のなかには、「自分の人生を全うした」という確固たる充実感が存在するのを感じます。
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