「Worlds end」の歌詞から学ぶ

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「Worlds end」の歌詞から学ぶ歌詞解釈

Mr.Children「Worlds end」の歌詞の意味と解釈を書いて行きます。

歌詞全体の解釈

まずはこの曲の歌詞全体の解釈から。

歌詞全文はこちらを参照(J-Lyric.net様)

 

躍動感のあるメロディーと、力強い桜井さんの声が印象的なこの曲。

歌詞を読んでいると、登場する“僕”というのは、歌詞の物語上の主人公とかではなく、作詞者の桜井さん自身のことを指しているのではないかと感じます。

明日を強く信じていれば、この世に生きるすべての人は望む世界へ自由に行くことができる。

そんなメッセージを、桜井さんがこの曲を聞くすべての人に訴える。そんな曲だと僕は解釈します。

このように僕が解釈する理由も含めて、次の深読みの部分に入って行きたいと思います。

歌詞の深読み

ここからは歌詞を抜粋し、独自解釈の深読みをしていきます。

 

ゆっくり旋回してきた大型の旅客機が
僕らの真上で得意気に
太陽に覆い被さった その分厚い雲を
難なく突き破って消える
<出典>Worlds end/Mr.Children 作詞:桜井和寿

歌い出しの歌詞です。

太陽は希望の光、分厚い雲はそれをさえぎる壁や問題。というふうに捉えればいいと思います。

空を飛ぶ旅客機は、分厚い雲でもたやすく突き破り、太陽の当たる場所へ出ることができる。

そんな旅客機の姿をうらやましそうに見上げる人の姿が目に浮かびます。

 

「何に縛られるでもなく 僕らはどこへでも行ける
そう どんな世界の果てへも 気ままに旅して廻って」
<出典>Worlds end/Mr.Children 作詞:桜井和寿

サビのこの歌詞こそが、桜井さんがこの曲に込めたメインメッセージです。

僕たちも自由な道を選んで、自由気ままに人生を送ることができるし、最終的には望む場所にたどり着くことができる。

まるで空を飛ぶ飛行機のように。航路は自分で選べるし、途中で目的地を変えてもいい。海も山も越えてどこへでも行ける。

そんなメッセージを伝えてくるサビ歌詞です。

きっと、桜井さん自身がプロのアーティストを目指したときのことや、その後の音楽人生、そして現在の日本を代表するバンドにたどり着くまでの想いのことをそのまま書いたメッセージではないでしょうか。

桜井さんも不安と憧れを抱きながら、今の場所までたどり着いて行ったのだと考えると、これ以上背中を押されるメッセージはないですよね。

 

捨てるのに胸が痛んでとっておいたケーキを
結局腐らせて捨てる
分かってる 期限付きなんだろう 大抵は何でも
永遠が聞いて呆れる
<出典>Worlds end/Mr.Children 作詞:桜井和寿

腐らせてしまったケーキのフレーズ。とても印象的です。

大事だからこそ手をつけられず、そのうちにだんだん色褪せて行ってしまう。それでも捨てることはできずに大事にして、結局は手遅れになる。そんな夢や目標ってありますよね。

永遠なんて言葉が聞いたら呆れるけど、僕たち生き物はそもそも有限です。そんな僕たちが抱く夢や目標なんて、消費期限は一瞬です。

大事なものこそ、すぐに行動に移さないと、「何もしなかった」という一番残念な形で終わってしまいます。

 

飲み込んで吐き出すだけの単純作業繰り返す
自動販売機みたいに この街にボーっと突っ立って
そこにあることで誰かが特別喜ぶでもない
でも僕が放つ明かりで 君の足下を照らしてみせるよ
きっと きっと
<出典>Worlds end/Mr.Children 作詞:桜井和寿

サビ歌詞がメインメッセージなのは重々承知のうえですが、僕がこの曲で一番好きな歌詞はここなんです。例えが巧妙すぎますよね。

最初の歌詞全体の解釈のところで「この歌詞でいう“僕”とは、作詞者の桜井さんのことではないか」と、書きましたが、その大きな根拠がこの歌詞です。

歌を作り、歌って、届ける。それが単純作業だなんてはまったくもって思えないのですが、そうして“君”(=私たちミスチルの曲を聞く人たち)の足下を照らしてみせる。そんな桜井さんの想いを表しているように感じるのです。

車のライトのように、遠く先まで照らし出すことはできないけど、足下くらいなら照らせる存在でありたい。そんな謙遜のようだけど力強い覚悟も伝わってきます。

足下が明るくなれば、一歩が踏み出せます。夢や目標に向かっていた途中、周りが暗くなってしまって立ち止まったとき、ミスチルの曲を聞いて足下が明るくなる。そうしたら、また次の一歩を踏み出す勇気が出る。

歌を届けるアーティストとして、こんなふうにありたい。そのように解釈すると、最後の“きっと きっと”という言葉がものすごいエネルギーを持ってることに気づきます。

 

何にも縛られちゃいない だけど僕ら繋がっている
どんな世界の果てへも この確かな思いを連れて
<出典>Worlds end/Mr.Children 作詞:桜井和寿

最後の歌詞です。この歌詞のメッセージを一言でまとめるようなフレーズです。

僕たちは一人ひとり自由な存在だけど、どこかでつながっている。例えば、ミスチルの曲を通して。あるいは、もっと神秘的で宇宙的な大きな力で。だから決して“独り”じゃない。

そんな目には見えづらいけど、確かに存在する繋がりを連れて、自分の思うままどこまでも行こう。

“どんな世界の果てへも”というフレーズが、曲タイトル「Worlds end」ですよね。「world」が複数形になっているのは、一人ひとりで目指す世界の果てが異なるからです。

 

学びの一言

どんな夢でも、その果てにたどり着くことができる。つらくなったり、道に迷ってしまったときは、ミスチルの曲聞いてまた次の一歩を踏み出していく。そうして進んで行けばいい。

ミスチル好きな方しかこんなサイトには来ないと思って書いているからですが、ミスチルの曲に縛られることはないと思います(何にも縛られちゃいないですからね)。

迷い立ち止まったとき、音楽には本当に大きな力があるのを感じます。具体的な誰かの体験談ではないのに、音楽に詰まったメッセージというのはどうしてあんなに力強いのでしょう。

きっとそれは、音楽を通して、無意識ででも“繋がり”を感じることができるからではないでしょうか。音楽から伝わってくる「自分ひとりじゃない」というメッセージを、心はきちんと受け取っているんですね。

 

▼「重力と呼吸」までの“全曲”詩集。冒頭の桜井さんの作詞に対する熱い想いが超貴重です。

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