「友とコーヒーと嘘と胃袋」の歌詞から学ぶ

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「友とコーヒーと嘘と胃袋」の歌詞から学ぶ歌詞解釈

Mr.Children「友とコーヒーと嘘と胃袋」の歌詞の意味と解釈を書いて行きます。

歌詞全体の解釈

まずはこの曲の歌詞全体の解釈から。

歌詞全文はこちらを参照(J-Lyric.net様)

ともとこーひーとともとコーヒーと

この歌詞の主人公がどんな人物か想像してみましょう。

女性経験も豊富そうだし、罰当たりと言われることもいとわない姿勢。そして何より、自分の身に起こること全部を飲み込んで、それを筋肉に変えてしまおうという考え方。

ここから、思い切りのいい男らしい人物という感じがします。

しかし、僕は一方で弱い所や自信のないところも抱えている人物だと思います。

B級雑誌の占いをつい見てしまうところ、関係ないと言いながらもキリスト教に思いを馳せるところなど、自信がないというか、生き方に迷っている部分も見える気がしませんか?

強いところと弱いところを持ち合わせるのが大抵の人間だと思います。あるときには悩んだり、あるときには意気込んだり。この歌詞の主人公もまた、そうして人生を送っているのです。

 

 

歌詞の深読み

ここからは歌詞を抜粋し、独自解釈の深読みをしていきます。

 

あぁ風の噂で君の話を聞いたんだよ
結婚はしたけれどあまり幸せではないらしい
僕にだってそれなりに守る生活があるから
何をしてあげられるという訳じゃないけど
友よ 友よ 友よ
<出典>友とコーヒーと嘘と胃袋/Mr.Children 作詞:桜井和寿

主人公の友達の話ですね。結婚したけどあまり幸せではない。うん、そんなこともあると思います。でもこれ、仲のいい友達ならばすごく気になりますよね。

しかし、そんな心配な噂を聞いたものの、主人公は自分にも守らないといけない生活があるから何もできないと言っています。

僕の予想では、主人公は結婚はしていないと思います。そしてさらに予想ですが、この友達も遠方に住んでいるのではないかと思うのです。だから“噂”でしか情報が入って来ないのです。

すぐ行けるところではないから仕事やプライベートを割いて会いに行って話を聞いてやるとか、何かお金的な援助をしてやるとかも難しいと、主人公は感じているのではないでしょうか。

でも、そんな自分にちょっと後ろめたさとかズルさも感じている。そんな心境が想像できます。

 

あぁ男もまた女によって変わるんだなぁ
最近は紅茶よりもコーヒーを飲んでるんだよ
あの娘の吸う煙草の口の中の残り香と
にがいコーヒーとの相性がとてもいいから
飲むよ 飲むよ 飲むよ 飲むよ
<出典>友とコーヒーと嘘と胃袋/Mr.Children 作詞:桜井和寿

僕が、主人公は結婚してないと思う根拠はここです。

どうも最近付き合う女性が変わった様子。だから結婚はしていないでしょう。不倫の付き合いって感じもしませんしね。そして、こんな発言をするということは、何人かの女性経験があるということもわかります。

このフレーズのインパクトってなかなか強いですよね。「彼女とキスをしたあとのコーヒーが、彼女の煙草の残り香とマッチしてる」なんて、なかなか生々しいし妙にリアルです。

でも、付き合う女性によって紅茶派がコーヒー派に変わるくらいの変化は普通にあり得るでしょうね。

 

 

そう僕の今年の運勢はとてもいいんだなぁ
下らないB級雑誌に書いてあったけど
信じることの出来そうな位のかわいい嘘は
なるべく信じてみることにしたんだから
<出典>友とコーヒーと嘘と胃袋/Mr.Children 作詞:桜井和寿

「下らないB級雑誌」と言っておきながら、そこに書いてあった占いが頭に残っている主人公。

何か悩み事でもあったのでしょうか。うん、あったのでしょう。

しかもその占いに書かれていたのは良い結果だったのです。“嘘”と言い切ってちょっと斜に構えた感じを出していますが、期待している様子が見て取れます。

僕も星座くらいのことで今月の運勢がわかるというのは“嘘”だろうなと思ってしまうタチですが、それでも良いことなら信じてみるのはアリだと思います。前向きになれるものなら自分にとってプラスになりますからね。

 

さぁ見てみろよ今や世紀末は遠い過去の話だ
そもそもキリスト教に僕はなんの信仰もない
罰当たりだと言われてもクジラやイルカの肉も食べる
悲しみも 憎しみも 愛しさも 優しさも いやらしさも
食べるよ 食べるよ 食べるよ
<出典>友とコーヒーと嘘と胃袋/Mr.Children 作詞:桜井和寿

この「世紀末」という言葉の解釈が難しいところです。なぜなら、この曲が収録されたアルバム「Q」は、2000年9月にリリースされたもの。まさに20世紀末の真っ只中なんです。

それを「遠い過去の話」というのは明らかに違和感です。

ただ、僕の解釈としては、当時の2000年という年は、ノストラダムスの大予言(1999年に人類が滅びるという予言)も外れ、2000年問題(西暦の下2ケタが00という数字に変わるため、いろんなシステムを司る世界中のコンピュータが誤作動を起こすと噂された)も杞憂に終わり、世間の世紀末ムードは“1999年にすでに終わっていた”。という意味ではないかと考えたりしています。

さて、この部分の歌詞の解釈に戻りますと、そもそもキリストの生まれた年を起源とする西暦の区切りなんて関係ないという考え方で、クジラやイルカの肉も食べるし、「悲しみも 憎しみも 愛しさも 優しさも いやらしさも」何でも食べてやるよという姿勢が示されています。

ここから始まる「なんでも飲み込んでやる」という勢いのある考え方が僕はたまらなく大好きなんです。

 

だから胃袋よ あぁ僕の胃袋よ
もっと強靭たれ もっと貪欲たれ
なんだって飲み込んで なんだって消化して
全部 筋肉に変えてしまおう
<出典>友とコーヒーと嘘と胃袋/Mr.Children 作詞:桜井和寿

最後の歌詞です。

曲のタイトルを見ても、一際目立つこの“胃袋”というワード。こういう意味で使われるのか。と納得させられる部分ですよね。

生きていれば、いろんな物事に直面するし、それに伴っていろんな感情を経験します。

それらから目をそらすのではなく、真正面から飲み込んで体に取り込んでやろうという意気込みがグッときます。

しかも、ただ消化してなくしてしまって終わりではなく、それをエネルギーや筋肉にして自分の糧にしてやろう言う。こんなふうに強く生きれたらカッコイイなと憧れてしまう思考です。

 

学びの一言

自分にとって良い事も悪い事も全部飲み込んで、自分の糧にして行こう。

学びの言葉としてはやっぱりこれになってきちゃいますね。何のひねりもありませんが、この曲においてはひねりなんて不要です。

良い事からも悪い事からも、自分を成長させることができます。そのためには、その出来事をどう解釈するか、どうすれば自分のプラスになるかを考え、しっかり消化吸収する必要があります。

これはまさに体で言えば胃袋の働き。この胃袋の強靭さが重要ということですね。

 

▼「重力と呼吸」までの“全曲”詩集。冒頭の桜井さんの作詞に対する熱い想いが超貴重です。

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