「掌」の歌詞から学ぶ

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「掌」の歌詞から学ぶ歌詞解釈

Mr.Children「掌」の歌詞の意味と解釈を書いて行きます。

歌詞全体の解釈

まずはこの曲の歌詞全体の解釈から。

歌詞全文はこちらを参照(J-Lyric.net様)

 

人間は一人ひとり、見た目も内面も経験したことも環境も、まるで違います。

その違いのせいで、真剣な自分の思いが、相手には違うように伝わったり、歪んだ結果を生んだりしてしまう。それが愛する人やわかり合いたいと思う人との関係で起こると、とてもつらい思いをします。

そんな現実に苦しみながらも、違いを受け入れる必要性に気づき、互いに認め合うことができればそれがゴールなのだという考え方を教えてくれる歌詞です。

一人ひとりが違うということを、「掌」という一言で表現するところに深みを感じます。

 

 

歌詞の深読み

ここからは歌詞を抜粋し、独自解釈の深読みをしていきます。

 

掌に刻まれた歪な曲線
何らかの意味を持って生まれてきた証
<出典>掌/Mr.Children 作詞:桜井和寿

手相診断や掌紋認証なんてのができるくらい、人の掌のシワは世界中の他の誰とも被らない、その人独自のものです。

この歌詞の「掌」という言葉は、“一人ひとりが違う存在であること”を象徴するものとして使われています。

そして、唯一無二の存在として生まれたことは、自分にしかできない何らかの役割を持たされていることだと主張しています。

 

僕らなら 求め合う寂しい動物
肩を寄せるようにして 愛を歌っている
<出典>掌/Mr.Children 作詞:桜井和寿

しかし、唯一無二の存在として生まれながらも、僕たち人間は他の誰かの存在を強く求める動物であることを指摘しています。

確かにそうですよね。これは人間だけのことではありませんが、子孫を残すためには1人ではどうにもならないし、本能として他の誰かを求めるようにインプットされていると感じます。

自分と同じ存在なんていないなかで、他の誰かを求めてしまう。この宿命がもたらす苦しみや葛藤が、この後の歌詞に書かれていきます。

 

抱いたはずが突き飛ばして
包むはずが切り刻んで

撫でるつもりが引っ掻いて
また愛 求める

解り合えたふりしたって
僕らは違った個体で

だけどひとつになりたくて
暗闇で 踠いて 踠いている

<出典>掌/Mr.Children 作詞:桜井和寿

1番のサビの歌詞です。最初に聞いたとき、「なんて強烈に印象に残る歌詞だろう」と思いました。

自分の思いとは違った、歪んだ結果を生み出してしまうこと。人生ではたくさんあります。

このとき、その思いの強弱は関係ないのが何とももどかしいところです。むしろ、思いが強い方が上手くいかないなんてことも多々あります。

例えば恋愛。こちらの思いが強いほど、相手はそれを軽々しく受け入れることはできず、失恋してしまう。こんな経験は恐らく誰もがした(あるいはする)ことがあるのではないでしょうか。

 

ステッカーにして貼られた本物の印
だけど そう主張している方がニセモノに見える
<出典>掌/Mr.Children 作詞:桜井和寿

これも先ほどと同様のことを言っています。

敢えて「本物です」と主張している方が嘘っぽく感じる。これはよくわかります。

じゃあ、本当の本物は一体どうしたらいいと言うのか…。ここに苦しみや悩みが生まれるワケですね。

 

 

君は君で 僕は僕 そんな当たり前のこと
何でこんなにも簡単に 僕ら
見失ってしまえるんだろう?
<出典>掌/Mr.Children 作詞:桜井和寿

ここのフレーズで、一番最初の歌い出しの歌詞のことが思い出されます。

掌を見ればわかるとおり、一人ひとりはまったく違った存在。

そうだとわかっているのに、誰かを求めはじめると「なんであの人はわかってくれないんだ!」と思ってしまう。

何でこんなに簡単に見失ってしまうのかというと、それはやっぱり、それだけ相手を求める気持ちが強いから。真剣だからだということになります。

う~ん、なんとももどかしい構図ですよね。

 

ひとつにならなくていいよ 価値観も 理念も 宗教もさ
ひとつにならなくていいよ 認め合うことができるから
それで素晴らしい
<出典>掌/Mr.Children 作詞:桜井和寿

そんなもどかしい人間の宿命に、終盤の歌詞ではひとつの答えを提示してくれています。

無理にひとつにならなくていい。互いの違いを認め合うことがでいればそれでいいじゃないか。

これが提示された答えです。

自分のものさしで測れない違いでも、「そういう生き方もある」と認めることができれば、それ以上悩むことはなくなります。

ただ、言うのは簡単ですが実際にやるとなると難しい。それが僕の個人的な感覚です。特に、身近な人だったり大切な人に対してだと、やっぱり「自分と同じであってほしい」と期待してしまうんですよね。

だから、人のことを認めるためには、自分の器の大きさが必要になってくるのです。そのためには、いろんな生き方を見聞きしたり、自分とは違っていても構わないという心の余裕を身につけたりする必要があります。

身につけるまではちょっと大変ですが、一度身についてしまえば自然とその考え方ができるようになるものだと思っています。30代に入って少し経ちますが、少しずつ身についてきたかなと思う今日この頃です。

 

学びの一言

わかり合いたい大事な人とこそ、違いを受け入れて認めることが必要。

これまで書いてきたことと逆説的ですが、わかり合いたい大事な人、身近な人ほど、自分との違う部分を認めてあげることが大事だと思います。

大事な人とほどその違いを埋めようとしてしまうのですが、それは自分にとっても相手にとって無理をさせることになるし、窮屈です。

違いを受け入れること、認めること。これは思いやりだったり優しさだと思うのです。そういう態度を向けてあげることができれば、相手もそれを返したくなる。

その結果、大事な人と良好な関係を築くことができるのではないでしょうか。

 

▼「重力と呼吸」までの“全曲”詩集。冒頭の桜井さんの作詞に対する熱い想いが超貴重です。

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