「声」の歌詞から学ぶ

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「声」の歌詞から学ぶ歌詞解釈

Mr.Children「声」の歌詞の意味と解釈を書いて行きます。

歌詞全体の解釈

まずはこの曲の歌詞全体の解釈から。

歌詞全文はこちらを参照(J-Lyric.net様)

 

“君”を想う気持ちがあるけれど、言葉にも歌にも表すことができない。今そこに確かにあるのは声だけ。そんな状態と心境を書き上げたラブソングです。

何をするにも不器用そうな主人公の姿が浮かんできます。歌は好きなんだけど、うまく歌えるわけじゃない。それは“君”への想いにしても同じ。

たまらなく“君”に会いたいという想いを、とにかく声に出して伝えたい。恋をしたことがある人ならば誰もが共感できる気持ちではないでしょうか。

 

 

歌詞の深読み

ここからは歌詞を抜粋し、独自解釈の深読みをしていきます。

 

言葉はなかった
メロディーすらなかった
リズムなんてどうでもよかった
<出典>声/Mr.Children 作詞:桜井和寿

つまりこれは「声」のことです。言葉にもならない、メロディーやリズムもないから歌でもないということですからね。

そしてその声の元になる気持ちのことです。今はこれだけが確かにあることを示しています。

ただ、それを自分の外に出す方法に思案しているのです。

 

この街にあふれてる
スピーカーから流れてる
でも君にぴったりの歌を僕は探している
<出典>声/Mr.Children 作詞:桜井和寿

一歩街に出ると、そこかしこのスピーカーからさまざまな音楽を耳にすることになります。主人公は都会に住んでいる人なのでしょうか。

しかし、そこから流れてくる音楽は自分が求める歌とはかけ離れていているなと主人公は感じています。

主人公が探しているのは、“君”にぴったりの歌ということですが、正確に言うと「“君”を想う自分の気持ちにぴったりな歌」のことではないかと僕は思います。

恋というのは、心がフルパワーで仕事をする状態です。そうすると、そんな自分の心に共感してくれる歌や、今の自分と“君”との関係にぴったりだと思える歌を求めてしまいますよね。とてもよくわかります。

 

昔は嫌いだった
なんか照れくさかった
でも誰かに好かれたかった
ファルセット出なかった
ハモるの下手だった
だけど三度下を歌いたがった
<出典>声/Mr.Children 作詞:桜井和寿

これは「歌」のことを指しています。歌を歌うのって照れくさく感じるところありますよね。カラオケでみんなも歌っていれば歌いやすいですけど。主人公も以前はそんな風に思っているようです。

しかし、いざ歌ってみると、出ないファルセット(裏声)が必要な歌を歌ったり、うまくもないのに下ハモを歌いたがったりする、主人公はそんなところがある人物のようです。

この主人公の歌に対する関わり方、今の“君”への恋心とリンクしています。理想や本心はあるけれど、それをうまく表現し切ることができない。というこの部分が共通しているんです。

 

 

時には悲しんだり
時には喜んだり
君が鳴らす音楽にそっと寄り添っていたい
<出典>声/Mr.Children 作詞:桜井和寿

そしてこれが主人公の理想と本心の部分です。

好きな相手の悲しいとき、嬉しいとき、それぞれどんな場面でもいっしょにその気持ちや声を共有したい。そんな風に思うのは本気の恋の証です。

気持ちや声のことを「君が鳴らす音楽」と表現しているところがこの曲のタイトルともリンクしていてオシャレです。

 

胸にしまってあった
もやもやがあった
たまらなく君に逢いたかった
<出典>声/Mr.Children 作詞:桜井和寿

これも主人公の“君”への想いのことです。

できれば好きだと伝えて恋人同士になりたいけど、それがなかなか言えない。その自分のなかの葛藤がもやもやの正体です。

でも、とにもかくにも“君”に逢いたい!その気持ちがはっきりとわかったこのフレーズで、主人公の話は終わり。そんな構図になっていると僕は解釈しています。その理由が、次の締めくくりの歌詞です。

 

別に巧くなくていい
声が枯れてたっていい
受け止めてくれる誰かがその声を待っている
<出典>声/Mr.Children 作詞:桜井和寿

この最後の歌詞は、歌い手であり作詞者の桜井さんから、この主人公、ひいては僕たちリスナ―に向けてのメッセージではないかと思うのです。

声にしたくてもできない本心があるなら、別に巧い言葉でなくても、きれいな声でなくてもいいから、とにかく声に出そう!というメッセージです。

そんな風に解釈する根拠は、ここにだけ出てくる「誰か」という言葉と「その声」という言葉です。

今まで追ってきた主人公が主語ならば、「君」が「この声」を受け止めてくれるという表現になるはず。しかし、ここでは「誰か」が「その声」を待っているとなっています。

つまり、主語は主人公でも“君”でもない第三者。それは歌い手の桜井さんだろうと考えるのが自然だと思うのです。

 

学びの一言

言葉や歌にならない想いは、自分の体から声に出さないと誰にも届かない。

すぐ上で桜井さんからのメッセージとして書いたこととほぼ同じことです。

自分のなかに強い想いが生まれたことは、それはそれでものすごく意味のあることです。その想いが自分を強くしてくれたり、人間的に成長する機会をくれますから。

しかし、その想いを誰かに届けたいと思ったら、それは絶対的に声にしないといけません(本来は言葉でもいいんでしょうが、この歌詞の趣旨に沿って“声だけ”としています)。

態度や言動から伝わるだろうと思うかもしれませんが、せいぜい予想や予感止まりです。本当のところどう思っているのかは、声で伝えないと相手に届かないんです。“届く”ということをナメてはいけません。

だからこそ、歌詞の最後で桜井さんも声に出すことを勧めているのではないでしょうか。

 

▼「重力と呼吸」までの“全曲”詩集。冒頭の桜井さんの作詞に対する熱い想いが超貴重です。

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