「himawari」の歌詞から学ぶ

「himawari」の歌詞学 歌詞解釈

歌詞全体の解釈

まずはこの曲の歌詞全体の解釈から。

⇒歌詞全文はこちらを参照(J-Lyric.net様)

 

メロディー的にも歌詞的にも強いインパクトのある“暗がりで咲いてるひまわり”というサビのフレーズ。このフレーズがこの曲のメインテーマだと思うし、歌詞の世界観を表現しています。

過酷な運命を背負っている“君”と、そんな君に恋をしている“僕”。これは歌詞を一通りみれば明らかです。

そんな“君”と“僕”ですが、君の方が真っ直ぐで、ひまわりのように生きている。それに対して僕は、諦めたり、妥協したり、誰かに合わせたりして邪に生きてる。

そんな対極の存在であるような“君”と“僕”ですが、この2人(2つ)は実はよく似ている存在、あるいはもはや同じ1つのものではないかと、僕は妄想解釈しています。

歌詞の深読み

ここからは歌詞を抜粋し、独自解釈の深読みをしていきます。

 

優しさの死に化粧で
笑ってるように見せてる
<出典>himawari/Mr.Children 作詞:桜井和寿

桜井さんの歌詞はどれもそうですが、この曲も比喩(メタファー)が神がかっています。

だって、もうこの出だしの2行で「死が迫る女性がそれでも強く明るく生きている」という物語の大前提がつかめてしまうのですから。

さらに、“僕”が、“君”の笑っている顔は、優しさで取り繕った表情だとわかってしまっているという。なんとも切ない重たさのある物語であることがこの歌詞だけでわかります。

 

暗がりで咲いてるひまわり
嵐が去ったあとの陽だまり
<出典>himawari/Mr.Children 作詞:桜井和寿

サビの部分の歌詞です。暗がりの中でだけど、しっかりと咲き誇るひまわり。これは“君”の強さや生き方を表しているのはわかりやすいです。

僕がどういう意味かな?と思っていたのは後半の「嵐が去ったあとの陽だまり」の方。

でも最近、これは「泣いたり(=嵐)」、「笑ったり(=陽だまり)」する“君”のことを表しているのだろうと思って聞いています。

暗がりでしっかり咲いているように見えても、本当は泣いているときもある。それが“僕”にはわかるのでしょう。でも一方で、強い彼女は心から笑うこともできる。

そんな君に僕は恋してた。のでしょう。

 

思い出の角砂糖を
涙が溶かしちゃわぬように
僕の命と共に尽きるように
ちょっとずつ舐めて生きるから
<出典>himawari/Mr.Children 作詞:桜井和寿

この歌詞、2番の出だしの歌詞ですが、1番の出だしの歌詞を上回る比喩だと思います。頭を殴られるような感動を覚えました。

一言で意味を言ってしまえば、「君の思い出を死ぬまで忘れないでいたい」ということですが、こんな素敵な表現があるものでしょうか。

思い出の角砂糖を溶かしてしまうのは涙だと言っています。「泣いてしまうことで、君との思い出を悲しいものにしたくない」という“僕”の想いも描かれていますよね。

さらに、ちょっとずつ舐めれば角砂糖は小さくなります。思い出も、生きて行くうちにどうしても小さくなっていってしまいますよね。

それでも、命が尽きるまでちゃんと持っていたい。そして一緒に尽きるんだという“僕”の心情が読み取れる、素晴らしい歌詞です。

 

違う誰かの肌触り
格好つけたり はにかんだり
そんな僕が果たしているんだろうか?
<出典>himawari/Mr.Children 作詞:桜井和寿

だけど、長い人生。“君”がいなくなってしまってからも、僕は生き続ける。その中で別の女性に恋をする可能性について“僕”が考えている場面の歌詞です。

でも、最後の「そんな僕が果たしているんだろうか?」では、それが想像できない、信じられないという気持ちが書かれています。

ちなみに、「いるんだろうか?」を「要るんだろうか?」という感じを当てて解釈することもできます。

他の女性に恋をするような僕は必要じゃないと、“僕”はどこかで思っているのかもしれません。

 

実際は面倒臭いことから逃げるようにして
邪にただ生きている

<出典>himawari/Mr.Children 作詞:桜井和寿

これが“僕”の自分の生き方に対する評価です。

暗がりで咲いてるひまわりのような“君”みたいな人がいる一方で、僕は諦めたり、妥協したり、誰かに合わせたり、面倒臭いことから逃げて生きている。

これを邪(よこしま)に生きていると言っています。

死期の迫る“君”は、邪(よこしま)にただ生きるなんて望まないだろう。もっと意味のある生を必死で送ろうとするだろう。

そんなふうに考えてしまう“僕”の心境が読み取れます。

 

学びの一言

ひまわりの君と邪な僕。2人は対極のようで実は1つ。

歌詞全体の解釈のところの最後に、対極の存在であるような“君”と“僕”は、実はよく似ている存在、あるいは同じ1つのものではないかと妄想解釈している。と書きました。

この歌詞の物語を、“僕”から離れて“君”の視点で考えてみます。

すると、「邪に」と“僕”が評価している生き方は、“君”としてはとても憧れる、自分にはできない生き方だと感じるはずです。

残りの人生がもう短い自分には、例え暗がりであってもひまわりのように咲き誇っていないといけない。そうあるべきだと思って生きているんです。

つまり、逆を言えば自分を偽って生きている。

本当は弱い自分も怖がる自分もいるのに、それを見せられない。見せると自分が持たないと思うのでしょう。

その点、“僕”の生き方は“僕”を偽っていない。「邪だ」とは思いながらも、生きたいように生きている。“君”からすればそこに憧れるのです。

この2人は、対極の存在に見えて、実は「憧れる」側と「憧れられる」側の関係をお互いに持ち合っている、2つで1つの存在という捉え方ができます。

お互いがいるからこそ、自分の生き方を見つめ、いろんな生き方のあり方を知ることができる、そんな尊い存在なのだと、この歌詞の物語を解釈しています。

 

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