Mr.Children「Dance Dance Dance」の歌詞の意味と解釈を書いて行きます。
歌詞全体の解釈
まずはこの曲の歌詞全体の解釈から。
長い歌詞です。そして世間や社会に対しての毒がビシバシ伝わってきます。独特のメロディーも相まって、ミスチルの中でもロックで個性的な曲のひとつ。
そんな社会に向けた毒を、歌詞のなかで“僕”という人物を通して表現しています。
しかし一方で、この“僕”なる人物は、人生を生きていくことにある唯一の希望も持っています。それが“君”という人物の存在です。
歌詞全体を見ると、“僕”にとって“君”はとりあえずの相手という印象を受けますが、それでも世の中に希望があるとしたら、それは“君”なのだろう。“君”とならば、真実の愛を見つけ、汚れて荒んだ世の中でも生きていくことができるかもしれない。だから、真実の愛をおれにくれ!
“僕”はそんな心境にいるのではないでしょうか。ちょっと待ちの姿勢なのが個人的には気になりますけどね。
歌詞の深読み
ここからは歌詞を抜粋し、独自解釈の深読みをしていきます。
クルクルと地球儀を回して 世界中を旅してる気分
あまりに低い天井見上げれば
救いようもなく また寝転がる
<出典>Dance Dance Dance/Mr.Children 作詞:桜井和寿
歌い出しの歌詞。
主人公の“僕”は、理想では世界中を旅するような…とまでは行かなくても、もっとスケールが大きく、痛快な人生を送りたいと考えているのかな、という気持ちを察することができます。
でも、現実は低い天井の…アパートの一室でしょうか。そんなところでくすぶった生活を送っているようです。
君の傷口 そっと舐めると よじれて涙がこぼれた
ビタミン剤が主食の生活で ヘルスメーターにも笑われ
<出典>Dance Dance Dance/Mr.Children 作詞:桜井和寿
ここで“君”が登場します。荒んだ世の中で唯一“僕”に生きる希望を持たせ得る人物です。
2人は付き合っているかそれに近い関係だと読み取れますが、“僕”の“君”へ向ける思いは、まっすぐでピュアな恋心とは一味違いそうです。
気持ちの部分か、体の部分か、あるいはその両方かで、“依存”し合っている関係なのではないでしょうか。
この歌詞の解釈としては、“傷口”は心の傷口のことだと僕は考えます。それを“僕”がいたずら心で突いてみたところ、“君”は涙を流した。という一場面です。
ただ、“よじれて”という言葉があるので、単にその傷口が痛くてというだけでなく、くすぐったいような、むしろもっと突かれたいような、そんな微妙な“君”の気持ちがあるように感じます。
そしてこの“君”なる人物、不健康そうですよね。ビタミン剤が主食ということは、食べることに無頓着なのでしょう。しかし、一応体のことは考えないといけないので、ビタミン剤で補っている。それでもヘルスメーターの数字はごまかせず、体重がめちゃくちゃ軽いのでしょうね。それを“笑われ”という言葉で表現しています。
give me love. give you up. give me one true
give me love. give you up. give me one true
<出典>Dance Dance Dance/Mr.Children 作詞:桜井和寿
解釈が難しいのが、全部で3回登場するこの歌詞。英語が苦手な僕は特に解釈に苦しむのですが…。
「give me love」は「愛をくれ」これはわかる。
次に「give you up」は「あきらめてくれ」という意味らしいですね。
そして「give me one true」これが難しいのですが、oneは前に出てきているloveのことを指すのではないでしょうか。となると、「真実の愛をくれ」という意味になるのでは?
3つつなげて意訳すると、「もうあきらめて真実の愛をくれよ」というニュアンスになる。そんなふうに僕は解釈しています。
どういうことかというと、“君”にとって“僕”は妥協案だということです。本当はもっと理想的な恋や、それにふさわしい相手を探しているのですが、とりあえず“僕”で妥協している。そして、そのことは“僕”もわかっているのです。
“僕”にとっても“君”は依存関係のとりあえずの人なのですが、それでも真実の愛をくれたら何かが変わるかもしれない。そんな希望を心のどこかで持っている。そういう心境なのです。
満たされない夢と欲望の彼方に
残された君と希望の橋を渡ろう
さぁ 踊ろう 世界が終わるまで
その未来を 僕の手に委ねたなら
Dance Dance Dance
<出典>Dance Dance Dance/Mr.Children 作詞:桜井和寿
“僕”には夢も欲望もあるのですが、それは満たされそうにもない。それは汚れた世の中のせいだ。“僕”はそう考えているワケですね。
しかし、そんな何も満たされない世の中でも“君”という存在だけは間違いなくある。残された唯一の希望である“君”と、未来に向かって行きたい。
この“僕”の想いがこの歌詞のメインに位置づけられています。
グラビアの彼女に恋をして
一目会って 嫌気がした
<出典>Dance Dance Dance/Mr.Children 作詞:桜井和寿
ちなみに、この歌詞こそが“僕”にとって“君”がとりあえずの相手であるということの根拠です。
“僕”の理想と欲望に適う女性を探しているですが、このグラビアの彼女その女性だったのですね。でも、実際に会ってみたら(会えるのがすごいのですが)まったく理想と違ったようです。
このとき、“僕”はこのグラビアの彼女と“君”を比べたのだと思います。嫌気がしたのは、“君”の方がしっくりきたからです。見た目とイメージだけの恋だったワケですね。
そうして、“僕”のなかで“君”の存在が大きくなっていくのです。
満ち足りた マニュアルにそった恋の中
もがいてる 将来有望な僕らがいるよ
さぁ 踊ろう 鼓動が止まっても
気にしないよ 君ともっと 汚れてみたい
<出典>Dance Dance Dance/Mr.Children 作詞:桜井和寿
世の中には、恋愛とはこう!カップルとはこう!みたいなマニュアルやステレオタイプがはびこってます。
そこで「もがいてる僕ら」とは“僕”と“君”のことです。つまりそれらのマニュアルには沿わない2人であると自分たちで自覚しているのです。
でも、そんな感じでもいいじゃないか。そんなマニュアルなんて気にしない。君ともっと汚れた社会で汚れて生きて行きたい。
ここへ来ると、“僕”はちょっと突き抜けた感があって男らしくなっています。将来有望とまで自分で言っていますしね。
学びの一言
世の中なんて大きくて抽象的なものを見るとどう生きていいのかわかりづらい。でも、身近な人や大切なものに目を向けると、自分がどう生きるべきか見えてくる。
ものすごく飛躍していますが、僕がこの歌詞から学んだことは間違いなくこれです。
世の中についてぼやいていた“僕”は部屋で寝転がるだけの男でした。しかし、“君”の大切さに気づくなかで、“君”と生きて行きたいという生きる目標ができあがっていきました。
的は小さく絞って生きて、それだけに集中すればいいのです。世の中や他人なんて、二の次。どんな人生を送りたいかこそが大事なのです。
▼「重力と呼吸」までの“全曲”詩集。冒頭の桜井さんの作詞に対する熱い想いが超貴重です。
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