Mr.Children「ロードムービー」の歌詞の意味と解釈を書いて行きます。
歌詞全体の解釈
まずはこの曲の歌詞全体の解釈から。
オートバイに2人またがり、今抱えている問題から逃げるように走ります。でも、乗り越えなければならないものは、やっぱり乗り越えなければならず…。そんな心境が感じ取れる歌詞です。
イントロのイメージは明るくて楽し気な雰囲気なのに、いざ歌い出しがやって来ると、オートバイのエンジン音と、夜の静けさを感じる景色に塗り替えられるこの曲。
エンジン音はうねりを上げているはずなのに、一方で静けさを感じるのは、オートバイに乗る2人の心境を反映しているからなのでしょうね。
歌詞の深読み
ここからは歌詞を抜粋し、独自解釈の深読みをしていきます。
いびつなうねりを上げながら
オートバイが走る
<出典>ロードムービー/Mr.Children 作詞:桜井和寿
このオートバイに乗る男女は、100%で付き合えない何かがある。
そう思わせる歌詞ですよね。“いびつな”というあたりが。
どちらか、あるいはお互いに別の恋人がいる。とか、またはお互いに自分の夢があって、それを目指すために遠距離にならなければならない。とか。
他にもいろいろと考えられると思いますが、僕は後者の設定で聞いてしまっていますね。
嘆きもぼやきもため息も 風に飛んでいくよ
そして幸福なあの歌を 高らかに歌いながら
500Rのゆるいカーブへ
<出典>ロードムービー/Mr.Children 作詞:桜井和寿
そんな100%になれない問題による嘆き、ぼやき、ため息。それがオートバイに乗り疾走することで、ほんの少し、忘れられる。代わりに幸福なあの歌を、2人で高らかに歌う、オートバイのうなりに負けないくらい。
そんな心境がこれだけの歌詞でありありと伝わてきます。さすが。詩人です。桜井さん。
ちなみに、「500R」というのはその曲がり具合で1周したら500メートルになりますよ。という意味です。心情を歌う歌詞のなかに数字を入れてくると、なんだかギャップがあって引き締まる感じがしますね。より心情の表現が浮き彫りにされるというか。
今も僕らに付きまとう幾つかの問題
時の流れに少し身を委ねてみよう
この路の上の何処かにあるはずのゴールライン
<出典>ロードムービー/Mr.Children 作詞:桜井和寿
ここで、“僕ら”には問題が幾つもあるのだということが明言されています。
問題を解決するには、自力でできることをするか、時が経つのを待つかのどちらかです。歌詞の主人公は、少なくともこのオートバイで駆ける間は後者で行ってみよう。という気分になっているのでしょう。これも風に吹かれる感覚がそうさせるのでしょうね。
そんな主人公は、「オートバイを走らせること」を「時が経つこと」になぞらえています。オートバイで走ることで、問題が吹っ切れるゴールラインの未来までたどり着きたい。という心境。なんとなくわかる気がしませんか?
特に自転車やオートバイに乗っていると、僕も「このまま走り続けたら、どこにたどり着くのかな」なんて、学生のころぼんやり考えたことがあります。
泣きながら君が見てた夢は 何を暗示してるの?
カラスが飛び交う空に モノクロの輝く虹
誰も笑っていやしない動物園
<出典>ロードムービー/Mr.Children 作詞:桜井和寿
ここ!ここものすごいインパクトのある歌詞です。初めて歌詞を確認したときは、なんて表現なんだと感動しました。
もやもやとした、すぐには吹っ切れない問題。それを抱える心境。これをイメージで表しているのが、この3点セット。
①カラスが飛び交う空
②モノクロの輝く虹
③誰も笑っていやしない動物園
何度も言ってしまいますが、どれもすごい表現。空、虹、動物園。それぞれの持つ一般的なキレイなイメージと対極のものを合わせるテクニックと感性はもはや芸術家。「誰も笑っていやしない動物園」なんて、ホントに夢に出てきそうなテーマですよね。
ファミレスの裏の野良犬が見てたキス
<出典>ロードムービー/Mr.Children 作詞:桜井和寿
そんでもってここ!ここも大好物!
誰もいないファミレスの裏、人目を盗んでのキス。…でも、ひょっこり現れた野良犬だけはバッチリ見ていた。
もう情景と二人の気持ちがありありと伝わってきます。たったこの1行で。
スカートの裾を濡らしはしゃいでたあのビーチハウス
<出典>ロードムービー/Mr.Children 作詞:桜井和寿
この部分だけです。この曲のこの部分だけが、とても明るいイメージの歌詞なんです。
他が明かりを落としたイメージの落ち着いた歌詞なので、そのコントラストでこの部分だけがとても明るく感じます。
2人の楽しかった思い出を代表する歌詞、という位置付けになっています。
街灯が2秒後の未来を照らし オートバイが走る
等間隔で置かれた 闇を超える快楽に
また少しスピードを上げて
もう1つ次の未来へ
<出典>ロードムービー/Mr.Children 作詞:桜井和寿
“街灯が2秒後の未来を照らし”。この意味って想像つきますか?僕は最近になってようやくわかりました。
映像としては、真っ暗な夜の道路に、街灯が並んでそれぞれ自分の足元を照らしている。ということで、その街灯が、主人公が走らせるオートバイの速度にして2秒の間隔で置かれている。ということなんです。
そんなことわかってる?…すみません、僕の察しが悪くてお恥ずかしいです。
でも、僕の妄想はこれだけでは終わりません。
2秒ごとの未来(街灯の明かり)に映るのは、2秒後の2人なワケです。先ほど、主人公は「オートバイを走らせること」を「時が経つこと」になぞらえていると書きましたが、つまり、それはこれのことなんです。
走るごとに未来(明かり)がやってくる。そしてその間は闇。そしてまた未来がやってくる。また闇・・・この繰り返しは、これから“僕ら”が送る人生そのものだ。と主人公は感じているんです。
道路を人生、街灯の明かりで写る2人の姿がそのときそのときの映像だとすると、オートバイで走ることで、コマ送りに2人の未来が映し出されることになります。
そう、まるで映画のフィルムのように。
つまり、これがこの曲のタイトル「ロードムービー」。だと、僕はとらえて聞いています。
その映画を観るのが快楽になっていく気持ちに任せ、主人公はまたスピードを上げます。そして次の未来へと向かっていく。…そのずっと先のどこかに、ゴールラインだと思える場所がやってくる。
そんな思いで主人公は後ろに彼女を乗せ、夜の道を走っているのです。
学びの一言
未来は不安で不安定なもの。だけど、時の流れに身を任せるという選択も大いにあり。
僕たちは、不安なことがあるとまず自分でなんとかすることが大事と考える節があります。もちろん、それも大事なのですが、ときにはそれでもうまく行かないときもある。
そんなときは、時間が答えを出してくれるという考え方も有効なのだと学ぶことができます。
運命というものはこの人生に確かにあって、それは自分個人がどんなに努力しても越えられない、人間の手が及ばない次元のものです。
また少し進んだ未来には、明かりが灯る。そのことをただ期待して、黙々と今の歩みを進めるという期間があってもいいのではないでしょうか。
▼「重力と呼吸」までの“全曲”詩集。冒頭の桜井さんの作詞に対する熱い想いが超貴重です。
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