Mr.Children「名もなき詩」の歌詞の意味と解釈を書いて行きます。
歌詞全体の解釈
まずはこの曲の歌詞全体の解釈から。
「名もなき詩」とは、“愛情”という形のないものを伝えるための歌という意味です。だから“歌”ではなく“詩”なのですね。歌というものに詩(言葉)を織り込んで愛情を届けたいというニュアンスを汲み取ることができます。
また、歌詞を物語的に読み進めると、前半と後半とで主人公の感覚が変わっていることを感じます。
前半はちょっと斜に構えた感じで“君”のことや社会のことを見ているけれど、後半では“君”の存在の大きさと自分の気持ちに素直になっています。
この歌詞を追っていくなかで、愛情というものの捉え方に触れてみたいと思います。
歌詞の深読み
ここからは歌詞を抜粋し、独自解釈の深読みをしていきます。
ちょっとぐらいの汚れ物ならば 残さずに全部食べてやる
Oh darlin 君は誰 真実を握りしめる
<出典>名もなき詩/Mr.Children 作詞:桜井和寿
ちょっとぐらいの汚れ物とは、“君”のことを指しています。純粋無垢な世間知らずの女の子という雰囲気ではなく、世間に揉まれ、異性関係のいろいろも経験して来た女、というイメージが僕のなかでは浮かびます。
そんな“君”を主人公は全部食べる、つまり丸ごと受け入れる気持ちでいます。ちょっと斜に構えていますが、彼女を心から愛してしまっているのですね。
真実を握りしめるとは、主人公にとって“君”こそが真実の愛だという意味です。真実の愛を握る人物、それが主人公にとっては彼女なのです。
君が僕を疑っているのなら この喉を切ってくれてやる
Oh darlin 僕はノータリン 大切な物をあげる
<出典>名もなき詩/Mr.Children 作詞:桜井和寿
“君”に疑われるようなことがあると思われるなら、喉をかき切ってやってもいい。それだけの覚悟でもって彼女と向き合っているのですね。
ノータリンの僕だけど、僕が持っている大切な物を全部あげるよという気持ちでいるのもわかります。
あるがままの心で生きられぬ弱さを
誰かのせいにして過ごしている
知らぬ間に築いていた自分らしさの檻の中で もがいているなら
僕だってそうなんだ
<出典>名もなき詩/Mr.Children 作詞:桜井和寿
自分の本心を丸出しにするというのは勇気のいることです。この時代、どこで誰にバカにされるかわかったものではありません。
しかし、そうやって世の中のせいにしたり、「自分はこんな人間だから」と自分で決めつけたりして本心を出さずにいる状態も、もどかしく感じられるものです。
主人公は、“君”はそんな気持ちで日々を送っているのだろうと感じています。そして、「僕だってそうなんだ」と言っていることから、自分も彼女と似た気持ちで生きているということが読み取れます。
そんな自分と同じ悩みを抱えている雰囲気に、主人公は心から惹かれてしまったのでしょう。
君の仕草が滑稽なほど 優しい気持ちになれるんだよ
<出典>名もなき詩/Mr.Children 作詞:桜井和寿
“君”と“僕”は似ているということは、“君”もちょっと世の中を斜に構えて見るようなところがあるのではないでしょうか。
しかし、そんな“君”がときたま見せる滑稽な仕草からは、本来の彼女の姿や素の雰囲気が滲み出てしまうのが見えるようで主人公は嬉しいワケです。また、そういう本心を普段隠してがんばって生きていることが健気に感じて優しい気持ちになるのでしょう。
愛はきっと奪うでも与えるでもなくて 気が付けばそこにある物
<出典>名もなき詩/Mr.Children 作詞:桜井和寿
名言キターー!って感じですよね。
この捉え方がとても好きです。誰かが作為的に作り出したり、奪ったり奪われたり、GIVEしたりTAKEしたりするものではなく、この主人公の“君”に対する気持ちのように「気が付けば彼女に惹かれていた」というようなもの。それが愛なのです。
気が付くことが大事。なんですね。
絶望、失望(Down) 何をくすぶってんだ
愛、自由、希望、夢(勇気) 足元をごらんよきっと転がってるさ
<出典>名もなき詩/Mr.Children 作詞:桜井和寿
絶望や失望を感じることもあります。しかも決して少なくないでしょう。そうやって立ち止まることも無意味とは思いませんが、やっぱりくすぶって立ち止まってしまっているというのは事実です。
そうやって立ち止まってしまったときは、足元を見れば愛をはじめポジティブで自分の歩みを進めてくれるようなものがきっとある。そんな考え方を提示してくれています。
ひとつ前の抜粋といっしょ。気が付くことが大事なのです。
愛情ってゆう形のないもの 伝えるのはいつも困難だね
だから Darlin この「名もなき詩」を
いつまでも君に捧ぐ
<出典>名もなき詩/Mr.Children 作詞:桜井和寿
最後の歌詞です。
冒頭の「歌詞全体の解釈」で触れたとおり、「形のないものだから歌(詩)にして伝えるよ」という想いがイカしています。
でも、このフレーズでは伝えるよりも大事なことが示されています。それが、「捧げる」ことです。
伝えるのは、極端な話、本心がなくても形式的にできてしまいます。しかし、捧げるのは100%の本心や真心がないとできません。100%の本心を伝えるため、主人公は“君”へ、自分の愛を永遠に捧げようと言っているのです。この男らしさに痺れます。
学びの一言
その存在に気づかせてくれた相手に、自分の100%を捧げる。それが愛の形だ。
愛というのは人間が持つ感情のなかでズバ抜けてパワーのある感情だと思います。憎しみや嫉妬なんかより、よっぽど強いです。
憎しみや嫉妬で人を殺そうとは思いませんが、ある人を殺さないと妻や子どもが危険にさらされるというのなら、僕はその人を殺しますね。
ちょっと話の方向性がズレてしまいましたが、愛の強いパワーは人を前向きにしてくれたり大きくしてくれたり、生きがいを与えてくれたりします。
だからこそ人は、その愛の種をくれた人に100%自分を捧げようとしてしまうのです。愛情とは形がないとこの歌詞では書かれていますが、目には見えなくても、これが愛の形なのかな。なんて、僕は考えさせられるのでした。
▼「重力と呼吸」までの“全曲”詩集。冒頭の桜井さんの作詞に対する熱い想いが超貴重です。
コメント