Mr.Children「It’s a wonderful world」の歌詞の意味と解釈を書いて行きます。
歌詞全体の解釈
まずはこの曲の歌詞全体の解釈から。
イッツアワンダフルワールドいっつあわんだふるわーるど
同じアルバムに収録されている「Dear wonderful world」という曲ととてもよく似ています。
違いは、この曲のサビの部分が「Dear wonderful world」にはないということ。そして、この2つの曲の歌詞を見比べると、「It’s a wonderful world」と「Dear wonderful world」は互いを補い合う関係なのではないかと取ることができそうです。
その根拠は、それぞれの曲の歌詞の最後のフレーズが、もう片方の曲の最初に歌詞になっているからです。歌詞がループするような形になっているワケですね。
歌詞の解釈については、「醜くも美しい世界」という言葉があるように、世の中の悪いところもいいところも愛して生きていこうという思いを書いた歌詞だと僕は捉えています。
スケールの大きな思いを、日常の一場面を切り取って表現している。それがこの歌詞の味わい深さにつながっています。
これだけ歌詞が似ているので、全体的な解釈は「Dear wonderful world」とほぼ同じになってきます。ご了承ください。
歌詞の深読み
ここからは歌詞を抜粋し、独自解釈の深読みをしていきます。
Oh Baby 通り雨が上がるまで
カプチーノでも頼んで待とうか?
この醜くも美しい世界で
<出典>It’s a wonderful world/Mr.Children 作詞:桜井和寿
歌い出しのこの歌詞は、「Dear wonderful world」の最後の歌詞とまったく同じです。
これは全体の解釈のところで書いたとおり。「Dear wonderful world」と補完し合う、2つで1つの曲(歌詞)という構成になっているのではないかと僕は捉えています。
さて、解釈としては、今まさに通り雨が降っているという場面。突然雨が降って来たときにカプチーノを頼めるような状況ということは、何か目的があって街にでも出かけてきていたということでしょう。
目的があったのに、突然の通り雨にもやきもきせず、近くのカフェに入ってカプチーノでも飲もうとするあたり、この歌詞の主人公には心の余裕を感じます。
世の中には醜いことも美しいこともある。主人公はそのことをちゃんと受け入れていて、毎日を生きているのでしょう。通り雨も、上がればキラキラと美しい景色が広がります。
起きた出来事はただの事実です。これをどう解釈するかで人生観というものが変わって来るのです。
無駄なものなど きっと何一つとしてないさ
突然 訪れる鈍い悲しみであっても
<出典>It’s a wonderful world/Mr.Children 作詞:桜井和寿
世の中に醜さと美しさの両極が共存するように、僕たちの経験するすべてのことに無駄なことなど何もないというメッセージを感じます。
例えば、鈍い痛みを伴うような悲しい出来事にも、自分に向けた何かしらの意味があると捉えることができます。
もちろん、ポジティブなものとは限りません。けれど、その悲しい出来事が、自分に何らかの変化を起こす。その変化は、これからの人生を送るうえで無駄なものではなく、必要なものだと考えることもできるのです。
忘れないで君のこと僕は必要としていて
同じようにそれ以上に想ってる人もいる
あなどらないで僕らにはまだやれることがある
手遅れじゃない まだ間に合うさ
この世界は今日も美しい そうだ美しい
<出典>It’s a wonderful world/Mr.Children 作詞:桜井和寿
このサビの部分の歌詞が、「Dear wonderful world」の方にはありません。
シンプルにいい歌詞ですよね。ストレートに勇気をくれるメッセージです。
「君」というのは、この歌詞の場面のなかでは特定の人物を指すのかもしれませんが、僕たちリスナーすべての人に向けてメッセージを投げかけてくれているようにも感じます。
誰もがきっと誰かに必要とされている。そして、この世界をもっと美しいものにするために、僕たちにはそれぞれやれることがある。
見方によっては「通り一遍のきれいごと」と見ることもできてしまいます。しかし、先にも書いたように、人生は物事の見方で変わります。それはもう大きく変わります。天国が地獄にも、地獄が天国にもなるのです。
何をどう見て生きるのか。それは僕たち1人ひとりに課せられた一生をかけた問いかけなのです。
Oh Baby 通り雨が上がったら
鼻歌でも歌って歩こう
この醜くも美しい世界で
<出典>It’s a wonderful world/Mr.Children 作詞:桜井和寿
この最後の歌詞が、「Dear wonderful world」の最初の歌詞とまったく同じになっています。
激しい通り雨が過ぎ去ったあとは、世界が洗われたような景色が広がってすがすがしさを感じますよね。
醜さと美しさ。僕たちが住むこの世界は、その両方を感じることができるところなのです。
学びの一言
どうせこの世界は醜いし、同時にワクワクするほど美しい。
その前提で生きれば、どんな場面でも余裕を持って前向きに生きていけるのかもしれない。
この曲の歌詞を読んでいると、ふとそんなふうに感じます。
美しさだけに溢れた世界ならば素晴らしいと思うかもしれませんが、世界に美しさしか存在しなければ、僕たちはそれを「美しい」と認識することができるでしょうか。
醜さもあることで、美しさが際立ち、それ同時に醜さも際立つ。僕たちが産み落とされた世界とは、良くも悪くもそういうところなのです。
何かで余裕をなくしそうなときは、この歌詞を思い出し、鼻歌を歌ったり、カフェに入ってカプチーノを頼んだりして、自分を落ち着かせることを試してみるといいかもな。なんて思ったりします。
▼「重力と呼吸」までの“全曲”詩集。冒頭の桜井さんの作詞に対する熱い想いが超貴重です。
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