Mr.Children「fantasy」の歌詞の意味と解釈を書いて行きます。
歌詞全体の解釈
まずはこの曲の歌詞全体の解釈から。
この歌詞に登場する主人公は、現実というものをよくわかっています。
孤独を感じるときもあること。猟奇殺人のようなひどい事件が頻繁に起きること。不可能なことも普通に存在すること。そして、自分には何か特別な才能や能力がないことも。
でも、ファンタジーとしてこの現実世界を見たならば、その物語の主人公となった自分は何でもできる。勘違いでもなんでもいいから、現実をポジティブに捉えていこう!
頭の中で作り出すファンタジーを駆使しながら、自分を奮い立たせている。そんな歌詞だと僕は解釈しています。
歌詞の深読み
ここからは歌詞を抜粋し、独自解釈の深読みをしていきます。
ゴミ箱に投げ捨てたファンタジーをもう一度拾い上げたら
各駅電車をジェットコースターにトランスフォームして
[不可能]のない旅へ
<出典>fantasy/Mr.Children 作詞:桜井和寿
この歌詞を見ると、ファンタジーとは“夢”に近いものを指しているのではないかと考えられます。
現実を考えて、ゴミ箱に捨ててしまった自分の空想(≒夢)をもう一度取り出す。主人公には捨てきれない想いや望み、夢があるのでしょう。もう一度ということはこれまでも何度も捨てて拾い出してを繰り返してきた様子がうかがえます。
そうして頭の中にファンタジーを広げたら、今乗っている通勤電車もジェットコースターに姿を変えて、迷いを断ち切る速さで疾走していきます。主人公の気持ちが前向きに加速しはじめました。
「誰もが孤独じゃなく 誰もが不幸じゃなく
誰もが今もより良く進化してる」
たとえばそんな願いを 自信を 皮肉を
道連れに さぁ旅立とう
<出典>fantasy/Mr.Children 作詞:桜井和寿
サビの歌詞です。とても深くて考えさせられます。また、主人公が現実というものをちゃんとわきまえているということも、この歌詞からわかります。
それは「皮肉」という一言。誰も孤独じゃなく、不幸じゃない。そんな願いはただの皮肉なのかもしれない。と主人公は思っているのです。現実はそうじゃないということを理解しているからですね。
一方で、「自信」という言葉もあります。主人公は、自分の孤独な思いも冴えない現状も乗り越えて、今よりも進化できるはずだと確かに信じているのです。
現実と自信がない交ぜになった状態ですが、頭のなかをファンタジーモードにしたことで、主人公の気持ちは確実に前を向いています。
「事件の裏側」すら簡単に閲覧けてわかった気になる
でも本当は自分のことさえ把握しきれない なのに何が解ろう?
<出典>fantasy/Mr.Children 作詞:桜井和寿
これはネットの掲示板やSNSのことを指していますね。
世の中で何か事件が起きれば、一斉にネットで確からしい情報や裏事情なんかが出回ります。そしてそれはとても簡単に見ることができる。
しかし、そうしてネットを見て世の中のことをわかった気になっても、その世の中を生きていくのは自分です。誰もが“自分”という1人の人間として生きて行くのです。その“自分”というものが解らないと、世の中がわかったつもりになったところで生きる術がわかりません。
主人公は自身がそういう状態にあることが気がかりなのです。
「出来ないことはない」「どこへだって行ける」
「つまずいてもまた立ち上がれる」
いわゆるそんな希望を 勘違いを 嘘を
IDカードに記して行こう
<出典>fantasy/Mr.Children 作詞:桜井和寿
このサビ歌詞でも、主人公はそんなことは“勘違い”で“嘘”だと言ってます。
それも承知したうえで、希望を捨てないでいこうという意志があります。
IDカードは自分を証明するカード。そこに希望を書き込んで行こうという歌詞になっています。「お前は何者だ」と問われれば、希望が書き込まれたIDカードで「こういう者だ」と答えて突き進んでいく。そんなふうに生きて行きたいという主人公の気持ちが描かれています。
昨夜見た夢の中の僕は兵士
敵に囲まれてた
だから仕方なく7人の敵と吠える犬を撃ち殺して逃げた
<出典>fantasy/Mr.Children 作詞:桜井和寿
とても印象に残る歌詞。
この夢は主人公が現実というものをわきまえているから見た夢です。ファンタジー一色の頭なら、こんな敵と犬に囲まれる夢は見ないでしょう。敵と吠える犬は現実のメタファー(隠喩)です。
でも、大事なのは夢の中の主人公はこの敵と犬を撃ち殺してその場を逃れたということ。つまり、現実を打破して乗り越えて行ったのです。
「僕らは愛し合い 幸せを分かち合い
歪で大きな隔たりも越えて行ける」
たとえばそんな願いを 誓いを 皮肉を
道連れに さぁ旅立とう
日常の中のファンタジーへと
<出典>fantasy/Mr.Children 作詞:桜井和寿
最後の歌詞です。
ここでは人間同士の愛について書かれています。違いを批判し合ったり、格差を妬んでみたり。そんなんじゃなく、その隔たりを愛で越えて行こうというスケールの大きな願いが書かれています。
それは“誓い”でもあると書いている一方で、それは皮肉でもあるということをわかっています。
そんな願いであり、誓いであり、皮肉である想いを、頭をファンタジーモードにしていけば、日常の中でも持っていられる。だから希望を持って前向きに行こう!というメッセージを、桜井さんは歌詞の主人公を通して送っています。
学びの一言
現実にひるんでしまいそうなときは、頭のなかにファンタジーを広げれば力強く前に進み続けることができる。
シンデレラもアラジンも、冴えない現実からスタートしますが、自分の夢を叶えます。これは夢や望みを捨てなかったからです。シンデレラが「私みたいな人間が舞踏会なんて行けるはずない」と現実に屈してしまっていた、王子様と出会わずに一生意地悪な母と姉に虐げられていたでしょう。
そんなファンタジーの物語ではないけれど、自分の希望や願いが現実から見て無謀に見えたときには、頭をファンタジーモードに切り替えてみる。そして自分の物語が今始まる!という気持ちで見てみると、意外といけそうな気がするのです。
今、僕自身が身を持ってファンタジーモード実行中です。やっぱり夢は持たなきゃね。めちゃくちゃ実現できそうな気持でいますが、結果はどうなるか。まだ道半ばであります。
▼「重力と呼吸」までの“全曲”詩集。冒頭の桜井さんの作詞に対する熱い想いが超貴重です。
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