Mr.Children「here comes my love」の歌詞の意味と解釈を書いて行きます。
歌詞全体の解釈
まずはこの曲の歌詞全体の解釈から。
この曲の歌詞、僕のなかでは1番と2番でまったく別の男女をイメージしてしまいます。もしかして、同じ男女の話ではないんじゃないかなと考えるんです。
1番は、“君”に片思いする“僕”の話。君という目的地に辿り着くように1人で海原を泳いでいます。
対して2番は、“君”といっしょに夢に向かう“僕2の話。2人で共通の目的に向かって、一緒に海原を泳いでいます。
そのうえで歌詞全体を俯瞰して読むと、いろんな人がそれぞれの思いを持って、困難に遭いながらも灯台の灯り(夢や目標)に向かって人生という海原を泳いでいるという描写を感じ取ることができます。
・・・すみません。最初に白状しておきます。この曲の解釈においては、2018年1月から放映されたドラマ「隣の家族は青く見える」の影響を多分に受けています。
子どもが欲しくて妊活をするも、なかなか成果が得られない夫婦と、それを取り巻くさまざまな家族をテーマにしたドラマでした。第一子が産まれたばかりだった僕は、妻と一緒に毎週欠かさず見ていました。
そんなワケで、歌詞から100%という解釈にはなっていないかもしれません。前提として僕の独自解釈なので、どうかご了承ください。
歌詞の深読み
ここからは歌詞を抜粋し、独自解釈の深読みをしていきます。
破り捨てようかな
いやはじめから なかったものって思おうかな?
<出典>here comes my love/Mr.Children 作詞:桜井和寿
歌い出しの歌詞で、この歌詞の物語の主人公は夢が阻まれてしまって心がくじけそうになっているのが読み取れます。
飲み込んでおくれ 巨大な鯨のように
あぁ僕は彷徨うピノキオの気分だ
<出典>here comes my love/Mr.Children 作詞:桜井和寿
主人公のこの心境は、ピノキオの話になぞらえて描かれます。
あなたは、ピノキオがどんな話だったか覚えていますか?この記事の最後で、もう一度このピノキオのなぞらえに触れたいと思います。
輝く光じゃなくっても
消えることない心の灯りはいつも
君を照らしてる
<出典>here comes my love/Mr.Children 作詞:桜井和寿
君を照らす心の灯り。これが僕が1番は片思いの歌詞ではないかと思う根拠です。
輝く光じゃないのは、想いが強くないという意味ではなく、遠く離れていたり、悪天候(想いが届かない現実)でその灯りが見づらいという意味です。
夢見た未来を波がさらっていっても
この海原を僕は泳いでいこう
here comes my love
here comes my love
君に辿り着けるように
<出典>here comes my love/Mr.Children 作詞:桜井和寿
夢(君と結ばれる未来)が断ち切れそうになっても、僕はこの波の激しい海を泳いでやるんだ。最後は君に辿り着けるように。そんな強い意志がにじむフレーズです。
「here comes」という英語の解釈はいろいろあるみたいです。僕は英語が苦手なので調べたところ、「ほら~だよ!」というニュアンスもあるそうです。
なので、この曲のタイトル「here comes my love」は、「ほら、これが僕の愛だよ」というニュアンスの訳を僕のなかであてています。
灯台の灯りが 夜の海の向こう
強く優しく光を放つ
今の僕は君を正しく導いてるかな?
<出典>here comes my love/Mr.Children 作詞:桜井和寿
ここから2番の歌詞です。
今度の灯台の灯りは、強く優しい光だと書かれています。
そして、僕は君を導いているという状態。つまり、この男女は共通の目標に向けて、一緒に海原を泳いでいるのです。
しかし、うまく導いているかというと、その答えはグレーだと、次の歌詞で書かれています。
海も荒れるし、導く役目は頼りない。だけど共通の目標は灯台のように強く光ってよく見える。そんな2人の心境を描いた歌詞です。
見上げた空には雨雲があるけど
その海原を誰もが泳いでるよ
<出典>here comes my love/Mr.Children 作詞:桜井和寿
2番のサビの歌詞です。
ここで「誰もが」この海を泳いでいるというフレーズが登場します。1番で出てきた男女、2番で出てきた男女を少し客観的に見るような歌詞です。
さらに、この2組だけではなく、もっとたくさんの人が、同じようにそれぞれの想いを持って目標に向かって泳いでいるということを示しています。
あって当然と思ってたことも 実は奇跡で
数え切れない偶然が重なって 今の君と僕がいる
<出典>here comes my love/Mr.Children 作詞:桜井和寿
これはもう真理としか言えない一言。知ってはいるけど、こうして書き出されると胸にガツンとくる感動があります。
個人の話になりますが、僕だって、妻と出会えたこと、そしてかわいい子どもに恵まれたこと、すべてこれは奇跡です。
この奇跡を紐解くと、1枚1枚の偶然が折り重なっているのがわかります。自分のことですから、その1枚1枚がハッキリと見えます。
きっと、読んでくれているあなたにも心当たりがあるでしょう。奇跡って、こうやってできているんですね。
希望を胸に吸い込んだら
また君と泳いでいこう
<出典>here comes my love/Mr.Children 作詞:桜井和寿
このフレーズが僕は大好きです。
泳いでつらくなったとき息継ぎをしますが、ここで吸い込むのは酸素だけでなく、希望を吸い込んでいるというこの描写。
そうすることでまた泳いでいける。いつかきっと辿り着くその日まで、一緒に泳ぎ続けることができる。
暗くて重い海原のイメージに、希望の息継ぎという明るさが垣間見える、このフレーズは印象的です。
学びの一言
灯台の灯りを目指して諦めずに望み続けていれば、その望みにはきっと手が届く。その希望を忘れないで生きていくこと。
ここでピノキオの話をしたいと思います。
ピノキオは、おもちゃ職人のおじいさんが作った操り人形。子どものいないおじいさんは、「このピノキオが本当に子どもになるように」と願います。
するとその晩、妖精が現れ、ピノキオに命を授けます。
妖精はこう言い残します。「勇気を持って正直で優しい性格になれば人間になれる」
ピノキオは本当の人間の子になれるよう志しますが、いくつもの誘惑に乗せられ、悪いこともしていしまいます。
そんなピノキオのもとに、心配して海までピノキオを探しに行ったおじいさんが、巨大な鯨に飲み込まれてしまったという知らせが届きます。
ピノキオは鯨に挑みますがあえなく飲み込まれてしまいます。しかし、鯨のお腹のなかでおじいさんと再会。
その後なんとか鯨のお腹から脱出しますが、鯨は怒って追いかけて来ます。
力尽きかけたおじいさんを庇いながら、必死に泳いだピノキオ・・・。
おじいさんが海岸で目覚めると、ピノキオは息絶えてしまっていました。
そこへ妖精が現れ、「ピノキオは勇気ある行動をした」と讃え、ピノキオを生き返らせ、さらに本物の人間の子にしたのでした。
このピノキオのストーリーを読むと、「here comes my love」の歌詞にリンクする部分が多いことに気づきます。
海を彷徨い、鯨に飲み込まれながらも、諦めないで必死に泳ぐ。そうしたことで願いが叶う。
このことを、ピノキオになぞらえて描いているのですね。
深読みすればするほど、その深さに圧倒される詩です。
▼「重力と呼吸」までの“全曲”詩集。冒頭の桜井さんの作詞に対する熱い想いが超貴重です。
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