Mr.Children「WALTZ」の歌詞の意味と解釈を書いて行きます。
歌詞全体の解釈
まずはこの曲の歌詞全体の解釈から。
重苦しい絶望と、その境遇に向き合う心境がくっきりとリアルに描かれた歌詞。
ワルツとは、男女がペアになって踊る社交ダンスのこと。曲のテンポも速めで、優雅な雰囲気のものが一般的だそうです。
となると、こんな絶望や苦しみを抱えた人物が躍るにはちょっとふさわしくないダンスです。
そこで僕はこう解釈します。
ダンスのペアの相手が“絶望”なのです。
絶望とペアになって優雅に踊る・・・ちょっと異様なシチュエーションですよね。その異様さが絶望を味わった者の心境をリアルにくっきりとしたものとして聞く人に訴えてきます。
歌詞の深読み
ここからは歌詞を抜粋し、独自解釈の深読みをしていきます。
「光」「夢」「微笑み」 さようなら
「闇」「絶望」「悲しみ」 こんにちは
商品に適さぬと はじき落とされて
ベルトコンベヤーからのスカイダイブ
<出典>WALTZ/Mr.Children 作詞:桜井和寿
とにかくインパクトのある歌い出し。
社会のどこかの部分で、「適さない」「要らない」と扱われた主人公。
ベルトコンベヤーと商品という表現が、無機質で無感情な社会の雰囲気を的確に表現しています。
一人そしてまた一人 はじかれて
繰り返される審査に離脱者は増える
ショーウィンドウに並ぶのは一握りだけ
指をくわえて見てるなんか嫌
<出典>WALTZ/Mr.Children 作詞:桜井和寿
実はこの曲、「就職活動を彷彿とさせる」と、リリース直後にはネットでちょっとした話題になった曲です。
確かに、この辺のフレーズや後に出てくる「履歴書」という言葉なんかを見ると、まさしく就職活動でうまく行かずに悩んでいる人のことを書いているように感じられますよね。
ただ、僕としては、「適さない」と扱われ、絶望を受けるシチュエーションは決して就職活動だけではないと考えます。例えば恋愛市場でも、こんなことはよくよく起こるワケです。
とにかく、選ばれるのは一握りだけ。ショーウィンドウに並ぶその一握りを見ているだけなんてもちろん嫌です。なんとか自分もあそこに…!そんな悔しさが伝わってきます。
ワルツに乗せ 悲しき遠吠え
地平線を越え 響くがいい
誰も欲しくない 必要としないなら
耳を塞げ(耳を塞げ)
繰り返し繰り返し wow wow wow
<出典>WALTZ/Mr.Children 作詞:桜井和寿
「適さない」と扱われ続けた者の負ったダメージはとても大きいものです。
その絶望からの叫びをこの歌詞では「遠吠え」と表現しています。暗に「負け犬の遠吠え」を連想させられますよね。
この遠吠えを地平中に響かせてやるから、またおれのことを「必要ない」と言う奴がいるなら、耳を塞いでおきやがれ!という意味のフレーズです。
半透明のドレスで 力なくふらついている
頭の中の「あきらめ」という名の亡霊
そいつを優しく抱きしめて
冷たい体を温めて
朝まで 静かに 踊って
その後 この手で殺すぜ
<出典>WALTZ/Mr.Children 作詞:桜井和寿
ここで「踊り」の描写が登場します。
最初の「全体の解釈」のところで書いたとおり、この踊りこそがワルツであり、ダンスの相手は“絶望”です。ここのフレーズでは、絶望のことを“「あきらめ」という名の亡霊”と表現しています。
亡霊なので体は半透明で冷たい。そんなダンスの相手と手を取り合い、朝まで踊って温めてやろうと主人公は言っています。これは、絶望ととことん向き合ってやろうという気持ちでいるということですね。
しかし、最後には自分の手でこの亡霊(絶望)を殺してやるんだ!と思っているワケです。苦しい絶望を味わった主人公ですが、心はまだまだ死んでいません。この「殺すぜ」のワードに、曲を聞いている僕たちはハッとさせられます。
学びの一言
「適さない」と扱われたとき、たとえ負け犬の遠吠えであっても、自分はまだ死んでいないという“声”を上げるのをやめてはいけない。
この歌詞の主人公の見習うべきところはここです。絶望と一緒になってワルツを踊りながらも、遠吠えを吐いて自分の存在を訴え続けています。
絶望に屈して自分がここにいるということを発信しなくなってしまったら、事態はいつまでも前に進みません。
ある場所で「適さない」とされたって、別の場所では「最適」と評価されることだってあるのです。あるいは、「適さない」とされた者にはそうされた者なりの生き方や戦い方もあるはず。
泥まみれになってもそれらを探し続ける気概が大事だと訴えるこの「WALTZ」の歌詞。そこからにじみ出るパワーは、絶望を味わったことのある人すべての人の背中を押してくれます。
▼「重力と呼吸」までの“全曲”詩集。冒頭の桜井さんの作詞に対する熱い想いが超貴重です。
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