Mr.Children「フラジャイル」の歌詞の意味と解釈を書いて行きます。
歌詞全体の解釈
まずはこの曲の歌詞全体の解釈から。
「fragile」は“壊れやすい”という意味の英単語。
歌詞全体を見ると、日本の情勢への強烈なダメ出しと、そこに生きる人々への毒のようなものを感じます。
しかし、ピンチを自分で切り抜けろという歌詞もあり、壊れやすい(むしろ壊れかけている)社会のなかで生きていくことへのエールにもなっているのではないかと僕は解釈しています。
当時の桜井さんの世の中や人々への気持ちが書き殴られている、そんな一曲ではないでしょうか。
歌詞の深読み
ここからは歌詞を抜粋し、独自解釈の深読みをしていきます。
回れ回れメリーゴーランド 土足で人の心をえぐれ
泣いて笑って人類兄弟 死相の浮かぶ 裏腹な笑顔で
<出典>フラジャイル/Mr.Children 作詞:桜井和寿
回るメリーゴーランドは回る地球のことを指しているのだと思います。いろんな人々、たくさんの人々が地球に乗っかってグルグル回っています。
そんな同じ地球という同じメリーゴーランドに乗っている同士(人類兄弟)なのに、相手を騙したり、傷つけたりする。そうして自分自身も不健康で不健全な雰囲気を醸し出している…。
歌い出しの歌詞から世界を強烈に揶揄するフレーズです。
「ねぇ 愛って何なの?」って彼女が聞いて
「さぁ 愛って何だろ」って僕が返して
考えてみても答えはないし
似たもの同士で一度寝ましょうか
<出典>フラジャイル/Mr.Children 作詞:桜井和寿
この部分の歌詞が個人的にとても好きです。
愛って、難しいですよね。お互いに愛とは何かうまく説明できないんだけど、どこかの部分で惹かれ合ったり求め合ったりして一緒にいる。世の中のカップルや夫婦でもそんなパターンが絶対的に多いでしょうね。
ちなみに僕は愛とは何かと聞かれたら…(省略)
そうなんです。答えはないとは思いませんが、正解はないでしょうね。人ぞれぞれに答えを持っていていいと思います。とにかく何かの縁やワケがあって一緒にいる。そのことに意味があるのかもしれません。
いつかは あんたも俺らも 灰になっちゃうんだよ
矛盾も 理不尽も まとめて さぁ 受け止めろ
教祖も教師も なんだか 洒落になんないじゃない
自分の手足で ピンチを さぁ 切り抜けろ
さぁ 切り抜けろ!
<出典>フラジャイル/Mr.Children 作詞:桜井和寿
矛盾したことも理不尽なことも、現代社会では往々にして存在します。むしろそんなことばっかりです。
でも、だからと言ってそれを言い訳にしてぼーっと突っ立っているワケにも行きません。どうせ最後には死んで灰になってしまう運命。それならばすべての現実を受け入れてやりたいことをやって生きていくのみ!そんな力強さを感じます。
“教祖”というフレームですが、オウム真理教が起こした最大の事件のひとつ、地下鉄サリン事件。これが起きたのが1995年3月。そしてこの「フラジャイル」をカップリングとして発売したシングル「シーソーゲーム 〜勇敢な恋の歌〜」のリリースは1995年8月なんですね。
そう、同じ年なんです。
洒落にならない“教祖”と言われると、僕は完全にオウム真理教の麻原彰晃を思い出してしまいます。それで調べてみたら、地下鉄サリン事件が起きた年にリリースされた曲なのに驚きました。
“教師”についても、この曲がリリースされた直前ごろに洒落にならないような人物がいたのでしょうか。調べてみましたが僕にはわかりませんでした。
歌詞が実際にこれらを指しているかは不明ですが、その可能性は高そうですよね。
最近じゃめっきり潔くなって
コンプレックスさえ武器にしてるんです
何はともあれ人間関係はつらいや
無理とは知れどドラえもんが欲しいな
<出典>フラジャイル/Mr.Children 作詞:桜井和寿
コンプレックスというのは、希少性があったり、裏返せば長所にもなるものです。武器になる要素は多分にあると僕も同意します。
でも、そんなふうに考えられるようになったのは30にもなってしまったから。20代のころはコンプレックスはやっぱり隠そうとしたし、悩みの種でした。この歌詞の主人公も同じような状況なのかな、と勝手に解釈しています。
アドラー心理学では「人間の悩みのすべては人間関係である」と言われます。はい、人間関係は難しいしつらいですよね。
ここで「ドラえもんが欲しい」と漏らすこの歌詞。特定の秘密道具を指すというより、困ったら「ドラえも~~ん」と泣きつける存在が欲しいという心境なのかなと僕は察します。
妥協も卑怯も場合によっちゃ有効だろ
優雅な理想はこのさい もう切り捨てろ
国家も制度も なんだか あてになんないじゃない
自分の手足で ピンチを さぁ 乗り越えろ
さぁ 乗り越えろ!
<出典>フラジャイル/Mr.Children 作詞:桜井和寿
妥協と卑怯、どちらもめちゃくちゃ有効だと僕も思います。真っ当に100%で取り組んでもダメなことはありますし、むしろダメになってしまう原因にすらなります。
この歌詞では理想を切り捨てろとありますが、理想を叶えるためにも妥協と卑怯は有効…というか、必要だと思います。
そしてこの曲で最も大事なフレーズが最後の1行です。先にも出てきてはいるんですけどね。
ピンチは自分のせいでも自分のせいでなくてもやってきます。“身から出たサビ”も“降りかかる火の粉”も自力で回避し、乗り越えなければなりません。
学びの一言
自分の力で乗り越えるというつもりでいる方が間違いなし、強くなれる。
他人が助けてくれるというケースは、あるにはあるでしょう。しかし、それがあてにならないというのがこの歌詞の前提であり、世の中の前提です。
最初から自分の力でなんとかしてやる…!という気概を持っていることは大事だと思わされます。
自力で何かをやり遂げたり、問題を解決していくのはしんどいです。しかし、やり遂げたときには相応の力が自分についています。その力がその後も人生をうまく生き抜いていく上で最強の武器になっていきます。
世の中のせいにしてばかりでは望んだ人生は生きれない。そうやって背中を押してくれるような一曲です。
▼「重力と呼吸」までの“全曲”詩集。冒頭の桜井さんの作詞に対する熱い想いが超貴重です。
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